空気という暴力:バス車内でキスをして降ろされた日の同調圧力

以前、当時のパートナーと路線バスの最後列に座り、軽いキスをしたときのことです。

その直後、バスは急停車し、車内マイクから運転手の声が響き渡ります。

「そんなことをするならバスを降りてください」

大声で騒いだわけでも、誰かの席を邪魔したわけでもないにもかかわらず、私たちはバスを降ろされることになります。ただ静かにキスをしただけですが、その瞬間の車内は「早く降りろ」と言わんばかりの、無言のプレッシャーに満ちていました。

「他のお客様の迷惑」という都合のいい嘘

この件で最もおかしな点は、運転手が発した「他のお客様の迷惑になりますので」という定番のセリフです。

よく考えてみれば分かりますが、乗客の誰も「迷惑だ」などと口にしていません。ほとんどの人は気づいてすらいないか、どうでもいいと思っているはずです。それなのに、運転手が勝手に「みんな迷惑しているはずだ」というストーリーを捏造し、マイクという権力を使って押し付けているだけに過ぎません。

日本の公共空間では、誰も何も言っていないのに、システム側の人間が勝手に「他人の意見」を決めつけて空気を支配する現象がよく起きます。客観的に見て、これは非常に異常なことです。

本当に迷惑なものはスルーされる矛盾

不思議なのは、バスの中で大声で話している老人など、明らかに周囲の邪魔になっている行為は注意されずにスルーされることが多い点です。なぜ、このような些細な逸脱だけが集団で排除されるのでしょうか。

多くの人は、他人に興味があるから監視しているのではありません。「自分と同じルールに縛られて我慢しているか」をチェックしているだけです。そこから外れて自由に振る舞う人がいると、自分が我慢しているのが損に思えてイライラしているに過ぎません。つまり、正義感ではなく、ただの同調の強要です。

自分の人生を他人の「感想」に委ねない

「不快だからやめろ」というのは、ただの個人の感想であり、そこに論理的な根拠はありません。

そんな実体のない「空気」や、通りすがりの他人の勝手な感想を基準にして、自分の行動を制限するのは単純に時間の無駄です。

社会のシステムが作った「見えないルール」に従って大人しく生きるのか、それとも他人の視線というノイズを無視して、自分の尺度で生きるのか。

選択肢はそれだけです。

動画を見るかどうかも、あなたの尺度で決めればいいことと同じです。

この記事を書いた人

黒光り筋太郎

#FIRE達成者 #夢を形にした人 #4万人をつなげた人

自己紹介を見る