おれのYouTubeチャンネルには、警察の職務質問を拒否し続けた動画が上がっています。
多くの人が視聴してくれて、コメント欄は今でも議論が続いています。これだけを見ると、おれのことを「ただ警察に嚙みつく、トラブルを起こしたいだけの過激なヤツ」と思うかもしれません。
しかし、それは完全な誤解です。おれは揉め事を起こしたいわけでも、再生数を稼ぎたいわけでもありません。
おれがあの夜、警察に対して一歩も引かなかったのは、「社会の非効率というノイズに対して、自分の大切な時間を1秒たりとも切り売りしない」という、自分の中の絶対的なルール(尺度)を守り抜くためでした。
通報もない深夜4時。なぜ寝ている人を叩き起こすのか?
そもそも、おれが最も強い疑問を抱いているのはここです。
誰かから通報があったわけでもない。ただ深夜4時に、車の中で静かに寝ているだけの人間を、わざわざ叩き起こして身分証明書を要求する必要が、果たしてどこにあるのでしょうか?
警察の仕事は、街の安全を守ることのはずです。運転に疲れて安全のために仮眠をとっている人間は、犯罪者でもなければ怪しい不審者でもありません。むしろ、安全運転を心がけている善良な市民です。
パトロールをする警察官には、車中泊をする人への理解を深めてほしいと感じています。手当たり次第に声をかけて睡眠を妨害するのではなく、「優しく見守るぐらいの姿勢」があっても良いのではないでしょうか。
「警察の言うことには従うべき」という思考停止
動画を見た多くの人が「警察の言うことなんだから、おとなしく従えばいいのに」と言います。しかし、それこそが日本社会にはびこる最大の同調圧力であり、思考停止の文化です。
法律上、職務質問はあくまで「任意」の協力です。義務ではありません。 それに対して、「みんなが従っているから」「お上が言うことだから」と無批判に受け入れるのは、自分の人生の主導権を他人に明け渡しているのと同じです。
動画のコメント欄でも、非常に本質を突いた意見がありました。
「任意が実質守られていない現状の法律が一番の問題だ。日本語の意味通りに解釈すれば、協力を拒否しても応じてもらえず何度も繰り返し協力を求めるのは強制してるのと同じだ」
数分の妥協が、人生に「一生のノイズ」を残す
義務ではない理不尽な要求(ノイズ)に対しては、相手が誰であろうと「NO」を突きつける。それが、自分の人生を自分の尺度で生きるための最低条件だとおれは考えています。
ここで、一つの矛盾に気がつく人がいるかもしれません。 「時間を無駄にしたくないと言うけれど、身分証を出して5分で終わらせればよかったじゃないか。結果的に数時間も揉めて、一番時間を無駄にしているのはお前だ」と。
確かに、表面的な時計の針だけを見れば、数時間を消費しました。 しかし、本質はそこではありません。
もしあの時、「面倒だから」と妥協して身分証を出していれば、その5分間は「理不尽な権力とノイズに屈した5分間」として、おれの生き方そのものに一生のノイズを残すことになります。
おれが取った行動は、「身分証の提示を最後まで拒否し、そのまま自分の意志で眠りにつくこと」でした。
その結果、どうなったか。 最終的に、警察のほうが「帰りますんでご協力ありがとうございました」と姿が見えない車内のおれに向かって頭を下げ、おれが「おやすみー」と言って幕を閉じました。自分で見返しても、これ以上ない完璧なオチです。
数時間という無駄な時間を使い、ただただ徒労に終わったのは、おれではなく「警察のほう」です。おれは最後まで一切の妥協をせず、自分の哲学を貫き通しました。
常識という名のノイズをゼロにするために
この記事を読んでいるあなたに、「警察と揉めろ」と推奨しているわけではありません。
伝えたいのは、あなたが普段「そういうものだから」と受け入れている常識の中に、どれだけの無駄(ノイズ)が潜んでいるかに気づいてほしいということです。
- 会社での理不尽なルール
- 上司からの意味のない根性論の命令
- 世間体を気にしただけの無駄な付き合い
これらに「たかが5分だから」「波風を立てたくないから」と従い続ける限り、あなたの人生は他人のノイズで埋め尽くされていきます。
思考のノイズをゼロにするためには、時には自分の尺度を信じて、徹底的に引かない覚悟が必要です。
おれはこれからも、自分の人生を生きるためにノイズを切り捨て続けます。あなたはどう生きますか?
実際の映像はこちら


