
感情を極限まで押し殺し、死の恐怖すらシャットアウトしていたICUでの時間。そこから一般病棟に移った入院2日目、おれの視界は不意に滲んでいました。
声を上げて泣き崩れたわけではありません。ただ、麻痺した身体で「あること」をやり遂げた直後、静かに、しかし抗いようのない感情が込み上げてきたのです。
今回は、絶望の淵にいたおれが流した涙の本当の理由と、無機質な病室で自我を繋ぎ止めてくれた「ある存在」について紐解いていきます。
試練として挑んだ「自力での食事」
首から下の神経を損傷した身体の現実は、想像以上に過酷でした。
一般病棟に移り、ようやく食事が解禁されたものの、自分の意思で身体を動かすことは極めて困難な状態。握力はほとんど無く、腕すらまともに上がりません。 それでも、一般病棟に移って食事が解禁されたとき、おれは看護師のサポートを断り、あえて自力で食事をすることに挑戦しました。
これを自分に課せられた「試練」だと思い、不自由な身体を必死にコントロールしようとしました。
結果として、30分以上かけて出された食事をすべて「完食」することに成功。 やればできる。自分の潜在意識と身体が、わずかにリンクし始めたのを感じた瞬間でした。
スマホ越しの希望と、視界が滲んだ理由
麻痺した身体を必死に動かしながら食事をしていた最中、ふとスマホに目を落としました。 そこには、事故を知った友人たちから届いた、数え切れないほどの応援メッセージが表示されていたのです。
不自由な手でフォークを握りながら触れた、画面越しの温かい言葉。
ご飯を口に運んでいるその時、心の奥底から強烈な感情が湧き上がり、自然と視界が滲みました。 それは悲観するような涙ではなく、人の温かさと「自分の力で必ず日常を取り戻す」という強烈な生命力が交差した、決意の証明だったのです。
医療のシステムから自我を守る「生命線」
決意を新たにしたものの、病室という空間は驚くほど静かで無機質です。 事務的な対応、殺風景な天井。ただそこにいるだけで、精神がどんどん閉鎖的になり、巨大な医療システムに飲み込まれていく感覚に陥ります。
そんな絶望的な環境で、おれを救ってくれたもの。それが「音楽」でした。 自分では指先を動かすこともできないため、見舞いに来てくれた彼女にヘッドフォンを耳に当ててもらいます。
流れ込んでくる音に包まれるその時間だけは、自分が四肢麻痺の患者であることを忘れ、「日常のおれ」を完全に取り戻すことができました。音楽は、おれが医療の常識に屈せず、人生の主導権を握り続けるための「生命線」だったのです。
後にYouTubeでこの日の出来事を語った際、視聴者からこんなコメントが寄せられました。
「やればできる」という身体の証明と、自我を繋ぎ止める音楽。 この2つが揃ったことで、おれの潜在意識はさらに「完了形の未来」へと加速していくことになります。
次回は、当時のブログの裏側に隠されていた壮絶なリハビリの真実。毎朝リセットされる身体の恐怖と、バルコニーに向かった理由についてお話していきます。



