
2019年2月22日。 雪山でのスノーボード中、おれの人生は一変しました。
事故現場は、頂上までのリフトを降り、さらに自分の足でハイクアップして向かうコース外の非圧雪エリアでした。一般の客は立ち入らない、完全な大自然のテリトリー。 途中にある崖をハイスピードで下り、そのままの勢いで悪条件の地形(前日の雨の影響でコンディションが悪化していた場所)に突っ込んだ瞬間。猛スピードの板が雪面に強く引っかかり、その反動でおれの身体は空中に吹き飛ばされました。
雪面に激しく叩きつけられ、合計3回跳ねたうちの、2回目の強烈な衝撃。 空中にぶっ飛ばされながら、おれは自分の身体に「ある異変」が起きていることに気づきました。
手足が、まったく動かない。
頸髄(けいずい)の3番から7番までの神経が、完全にぶった切られた瞬間。 それは、おれの身体からすべての自由が奪われ、「四肢麻痺」という重い障害を背負ったことを意味していました。
今回は、死の恐怖と絶望が支配する雪の上で、おれがどのようにして自分の脳(潜在意識)をコントロールし、回復への第一歩を踏み出したのかを紐解いていきます。
絶望の雪上で重なった、2つの「不思議な偶然」
首から下の感覚が完全に無くなるという、初めての恐怖。 事故現場は、一般客がいない非圧雪エリアです。雪上車も入れず、発見が遅れていれば、そのまま雪の中で手遅れになっていたかもしれない場所でした。
しかし、ここでおれには「2つの不思議な偶然」が重なりました。
1つは、一緒に来ていた友人の存在です。 おれが先にさっさと滑り降りてしまったにもかかわらず、彼は何かを直感し、おれの後を追いかけてきてくれたのです。彼が迅速におれを発見し、レスキューを呼んでくれなければ、ヘリでの救助が間に合わなかったかもしれません。
そして2つ目は「天候」です。 その日は幸いにも快晴で、ドクターヘリが現場まで飛ぶことができました。
実は、事故の翌日(2月23日)。全く同じこのスキー場で、吹雪のために救助ヘリが飛べず、滑落した方が亡くなるという痛ましい死亡事故が起きています。もしおれの事故が1日ズレていれば。あるいは、友人の発見が少しでも遅れていれば。おれの命はあそこで終わっていたかもしれません。
唯一動く「脳」への命令と、完了形の魔法
死と隣り合わせの雪の上で、身動き一つとれないまま救助を待つ約2時間。 パニックになりそうな極限状態の中、おれは唯一動く頭(脳)に「冷静になれ、冷静になれ」「大丈夫、大丈夫」と、何度何度も強く叩き込み続けました。
不安な気持ちは当然ありました。しかし、自分がどれほど奇跡的な確率で「生かされているか」を本能で理解し、「自分がそう思ったら、そうなる」という法則をすでに知っていたからこそ、おれは強制的にポジティブなことだけを考えるよう、自分の意識を強くコントロールしたのです。
ここから、おれの「認知的リフレーミング(事象の意味づけを変えること)」が始まります。
おれの中では、すでに「完全に回復して、また友達と楽しく遊んでいる未来(ゴール)」が明確に用意されていました。ただ、そこに到着するまでの道のりにいるだけ。
「治す」のではなく「すでに治っている」という確信
おれの中では、すでに「完全に回復して、また友達と楽しく遊んでいる未来(ゴール)」が明確に用意されていました。ただ、そこに到着するまでの道のりにいるだけ。
その「完了形の未来」を強烈に体感(イメージ)していたからこそ、おれの思考は「怪我をどうやって治そうか」という不安や焦りには向かいませんでした。
「すでに治っているんだから、身体の機能が戻らないと今後の予定に支障が出る」という、極めて現実的で絶対的な自信。
この【完了形の確信】こそが、切断された神経と潜在意識に「治る前提」の信号を送り続ける、最強のハックだったのです。
医療という権威が放つ「治らない」という呪い
救助隊によって無事にドクターヘリに乗せられ、病院のICU(集中治療室)へ。 そこで待ち受けていたのは、MRIという名の拷問装置でした。身動きが取れない狭い空間で、爆音の電子音がリズミカルに響き渡ります。
普通なら苦痛でしかないこの時間も、おれは潜在意識の力で意味づけを変えました。
どんな理不尽な状況でも、自分の現実は自分で定義する。 しかし、そんなおれの前に、医療という名の「絶対的な常識」が立ちはだかります。検査を終えた医師から告げられたのは、残酷な事実でした。
絶望的な宣告。 後にYouTubeでこの事故の経緯を語った際、コメント欄には医療の常識を盾にした、こんな声が寄せられました。
確かに、現代医学の教科書通りに言えば、それが「正解」なのでしょう。 しかし、おれはこの「治らない」という言葉を、医療という権威が放つ最悪の「呪い」だと捉えました。
潜在意識のテストは、ここから始まる
もしあの時、医師の宣告を素直に受け入れていたらどうなっていたでしょうか? きっと脳は「自分はもう治らない人間なんだ」と学習し、その通りの現実を創り出していたはずです。
だからこそ、おれはその呪いを完全に拒絶しました。 後に、この動画のコメント欄で視聴者から寄せられた応援に対し、おれはこう返信しています。
医師が治せないと言うなら、おれが治す。いや、すでに治っているのだから、あとは身体をそこに追いつかせるだけだ。
極限の恐怖の中で下した「冷静になれ」という命令。 そして「治らない」という常識に対する絶対的な反逆。
これは、絶望に飲み込まれず、自分の人生の主導権を握り続けるための「潜在意識のテスト(最大の試練)」の幕開けに過ぎませんでした。
次回は、感情を失いかけていたおれが、不自由な身体で「涙を溢れさせた日」の記録。無機質な病室の中で、おれを日常へと繋ぎ止めてくれた「音楽」の存在について語ります。



