
2020年に公開した職質動画。1,000件のノイズを拾っていくと、警察と対峙する市民が「カメラを回すこと」自体に対して、強い拒否反応を示す層が一定数存在します。
嫌嫌上から警察官見下して偉そうにして、動画まで撮って何様ですか😮
こんな日本人が増えて悲しい時代だねー。こんな動画を撮りアップしてる神経がダセエ。
彼らは「警察を撮影するなんて非常識だ」「動画をアップする神経が理解できない」と非難の声を上げます。しかし、この主張には法治国家としての矛盾が潜んでいます。
警察が市民を疑い防犯カメラで監視するのは良しとする。それなのに、市民が権力の不当な行使を監視(記録)した瞬間に激怒するのはなぜでしょうか。
カメラという「自衛の武器」
現代において、スマートフォンのカメラは市民が持つ最も強力な防具の1つです。 深夜の路上で複数人の警察官に囲まれたとき、自らの身と権利を守る客観的な証拠は「映像」しかありません。
しかし、コメント欄の彼らは次のような状態に陥っています。
- 市民の正当な自衛手段を「不謹慎」と捉えるズレ
- 権力側の一方的な監視だけを無条件に肯定する不平等
- 映像が残ること自体への強い拒否反応
映像が残ることで、双方の対応を後から検証できるようになります。やましいことがないのなら、警察側も堂々と撮影に応じればいいだけの話です。
権力の非対称性に気づかない人々
日本社会には「お上に逆らうな」という道徳観が根強く残っています。 そのため、一個人が権力に対峙し、対等な立場でカメラを回す姿を見ると、無意識に「生意気だ」と拒絶反応を起こしてしまうのです。
国家権力と一個人の間にある、圧倒的な力の非対称性。それをフラットにするためのツールがカメラであり、記録というファクトです。
記憶は曖昧になりますが、記録は残ります。
だからこそ感情ではなく、検証できる情報を残すことに意味があります。
記録を嫌う主張ほど、検証可能性を避ける傾向があります。 事実、この動画のコメントデータを分析すると、特定の少数アカウントが大量投稿していることも分かりました。
次回は、その匿名空間に潜む異常な執着を紐解いていきます。



